考えてみれば、内匠頭というのは不思議な人物である。第一、生きているうちには、

まったく無名の存在であった。江戸城松の廊下で、吉良上野介義央の眉間を切りつけ、

その噂がパッと江戸にひろがり、世間の人々が「はて、浅野内匠頭様といえば・・・

どこの殿様じゃったのかの」と首をかしげているあいだに、

彼はお預け先の大名屋敷の庭先で切腹して果てていた。

・・・「討ち入り以前」の浅野氏については、さっぱり資料がなく、・・・

赤穂浪士が吉良邸に討ち入るや、手のひらをかえしたように、日本中の人々は浅野家の

贔屓となり、内匠頭や義士たちにかかわる書付やら古文書やらを一斉に捜しはじめた。

・・・赤穂浪士討ち入り事件の浅野内匠頭は、どのような殿様であったのか。

大石内蔵助は本当に名家老だったのか。

磯田道史著「殿様の通信簿」から抜粋しました。

いま、読み耽っています。

忠臣蔵として今に語り継がれ、人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の演目、

映画で目に触れることができます。

今朝は寒空の下、よく晴れ渡っていました。

まもなく忠臣蔵が開幕いたします。

山茶花の大きな木

友呂岐緑地公園の紅葉

晩秋の神社

八坂神社

八坂神社

寒空の太陽です。